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TOSHIMAKE  TRUST

江戸の庄屋 豊嶋家​​

●豊嶋家について

豊嶋家は西光寺の南、浦町に位置します。江戸時代の寛永十八年~寛政三年頃(1641年~1791年頃 約150年間)に浦政所役(庄屋)を務めた。庄屋とは、代官の指揮のもとで村の事務を統轄する者で、今の村長にあたります。

豊嶋氏は、中世には守護細川氏の被官として三野郡に勢力をもった小領主であり、慶長二年(1597)には、豊嶋孫大夫が生駒一正から三野郡勝間村内に三六石余りの知行を認められています。その後、生駒家の改易により宇多津に移住したとされます。維新後明治八年(1875年)に材木商となり、宇多津を代表する大商家でした。

●この町家について

広大な間口を持つ敷地に、街路に面して主屋が建ち、主屋の上手、下手ともに板塀が続く。板塀の奥には、現在は建物がありませんが、大正十年(1921年)に描かれた敷地図には、庭の奥に大規模な座敷棟が描かれ、宇多津の大規模町家の典型的な構成をとっていました。この頃には敷地背面が鴨田川に面しており、材木の搬出入は川を利用していました。

豊嶋家文書には安政五年(1858年)の普請帳が残っており、この頃に現在の主屋が建てられたと推測されています。外観はいかにも古風であり、江戸末期の間口の広い形式の町家の代表例として貴重な建物です。

 

参考:

『宇多津の歴史的建造物と景観─宇多津町歴史的景観活用保存計画策定事業報告書』

(宇多津町教育委員会 平成17年3月)/『続 宇多津町誌』(宇多津町 平成22年)

●豊嶋家トラスト!

豊嶋家は、江戸時代初期から中期の約150年間、宇多津村の庄屋をつとめ、まちの運営に携わってきました。松平藩の米蔵が設置され、塩田が開発された時期にあたり、この時期に街道や路地が整理され、現在の古街の姿が形成されました。現在でも、このまちを舞台に秋祭り、おひなさんが続けられています。豊嶋家は、現代の宇多津の安定にもつながる役目を担っていたと言えます。その場所が、長らく空き家となっており、建物の痛みも進行しておりました。そこで、未来に宇多津を語り継ぐため、この町家を残せないかと2018年3月から活動を始めました。2019年3月2日・3日「うたづの町家とおひなさん」で一部公開、多くの方にご覧いただき、この町家と宇多津の歩みを知っていただきたいと考えています。

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外観

​軒も控えめに出る、古風なスタイル

造作がしっかりしているので、150年経てもなお、立派な状態で残ってきました。二階の立ちが低い中二階(つし二階)で、装飾的ではない簡素な表構え。

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玄関から土間

​土間はおくどさんを抜けて庭まで通じています。

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​玄関から

立派な石の上がり框

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おくどさん

​大正期と推測されています。

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​襖に古文書

​襖がはがれているところに、文字が…。建物内部の詳細調査は行われていません。この場を解読することで宇多津の歴史がわかり、未来につながるヒントがあると考えています。

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二階の入り口

梯子を使って登ります。2階は物置として使われていた様子です。

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